言葉がわからないうちは、世界が静かだった
近所のバルのカウンターで、昼前にコルタードを飲んでいた。
壁の上のほうにテレビがあって、いつものようにニュースが流れている。
音量は小さい。
誰も見ていない。
店主はグラスを拭いていて、隣のおじいさんは新聞を広げている。
その音の中から、ひとつの単語が耳に引っかかった。
muertos。
死者。
カップを持つ手が少し止まった。
画面を見上げると、どこかの道路でひっくり返った車が映っていて、テロップに数字が出ていた。
何人亡くなったのか、正確にはわからない。
でも、誰かが死んだということだけは、はっきり届いた。
届いてしまった、と思った。
スペインに来たばかりの頃、このテレビはただの音だった。
アナウンサーの抑揚、BGM、ときどき挟まる中継の雑音。
全部がひとつながりの音楽みたいに流れていって、意味は一滴も入ってこなかった。
燃えている建物や、泥水に沈んだ車が映っても、音のない映画のワンシーンのようで、僕の一日とはつながらなかった。
あの頃、僕はよく「ニュースを見なくなった」と言っていた。
日本にいた頃は、朝起きたらまずテレビをつけていた。
顔を洗いながら事件を聞き、着替えながら事故を聞き、家を出る前に芸能人の誰かが何かをした話を聞く。
夕方帰ってきてテレビをつければ、また同じ話が別の角度で流れている。
見たからといって何かが変わるわけでもないのに、気分だけはちゃんと持っていかれていた。
それがスペインに来てから、すっと消えた。
朝が静かになった。
頭の中の雑音が減った。
自分でも驚くくらい、機嫌よく一日を始められるようになった。
僕はそれを、自分で選んだことだと思っていた。
情報を断捨離して、ノイズを減らして、心の平穏を手に入れた。
少し得意げに、そんなふうに考えていた。
一時帰国したときのことを思い出す。
実家でも、ホテルでも、空港でも、テレビがついていた。
そして日本語は、容赦なく入ってきた。
聞こうとしていないのに、意味が勝手に頭に入ってくる。
事件の容疑者の年齢、どこかの県の大雨、誰かの不倫。
耳を閉じる方法がない。
スペイン語なら音楽のまま流せたものが、日本語だと一語残らず刺さってくる。
母語には、蓋がない。
そのとき初めてそう思った。
そして気づいた。
スペインで静かだったのは、僕が意志の力でニュースを断ったからではなかった。
ただ、言葉がわからなかっただけだった。
僕の平穏は、努力の成果ではなく、無知の副産物だった。
少しがっかりした。
いま、スペイン語は入ってくるようになっている。
翻訳アプリなしで半分くらい読める。
役所の手紙の、どこが大事なのか見当がつく。
バルで隣の人が話していることが、ところどころわかる。
それはうれしい。
この国で暮らしている実感が、やっと手に入り始めた気がする。
でも同じだけ、あのテレビも意味を持ち始めた。
muertos。heridos。incendio。inundación。
そして、わかるようになって初めて気づいたことがある。
スペインのニュースも、日本のニュースと同じことを言っている。
どこかで事故があって、誰かが亡くなった。
どこかで火事があった。
大雨で川があふれた。
政治家が何かを失言して、サッカー選手が誰かと別れた。
言葉が違うだけで、中身はほとんど変わらない。
日本を離れれば、あの重たい空気からも離れられると思っていた。
でも、重たかったのは日本ではなかった。
ニュースという形そのものだった。
国を変えても、言葉を変えても、テレビをつければ同じものが流れてくる。
だから、僕はやっぱり見ない。
言葉がわからなかった頃の静けさは、たしかに無知がくれたものだった。
でもいまは、わかった上で見ないことを選んでいる。
同じ静けさでも、手触りが少し違う。
見なくて困ったことは、ほとんどない。
本当に大事なことは、ちゃんと人が教えてくれる。
送り迎えの立ち話で、バルのカウンターで、夕食のテーブルで。
人の口を通って届く話には、顔と温度がある。
何を心配すればいいのか、どれくらい心配すればいいのかも、一緒に届く。
テレビの画面から流れ込んでくるものには、それがない。
ただ不安の量だけが、毎日同じ時間に注がれる。
日本にいた頃の僕は、それを毎朝浴びていた。
浴びないと落ち着かなかった。
いま思えば、知るべきことを知りたかったのではなく、何かを見ていないと不安だっただけなのかもしれない。
バルのテレビは、もう次の話題に移っていた。
店主が画面を見上げて、何か短くつぶやいて首を振った。
その言葉は、半分だけわかった。
残りの半分を、僕は聞き返さなかった。
コルタードを飲み干して、店を出た。
