夜が、なかなか来ない。
21時を過ぎても、空はまだ薄い水色をしている。
バルコニーから見える向かいの建物の壁が、まだオレンジ色に焼けている。
子どもたちが下の広場でサッカーをしている声がする。
時計を見なければ、夕方の5時だと言われても信じてしまう。
ここはバレンシア。
6月のスペインは、夜が来るのを忘れたみたいに明るい。
日本にいた頃、僕の1日には終わりがあった。
夕方になれば空が暗くなる。
それが「今日はもう終わりに向かっている」という合図だった。
暗くなれば家に帰り、晩ごはんを食べ、風呂に入り、眠る。
太陽が、僕の1日の輪郭を決めてくれていた。
考えなくてよかった。
空が勝手に教えてくれたから。
スペインに来て、その輪郭が溶けた。
夜が来ないと、人は1日をいつ終わらせていいのか分からなくなる。
最初の年は戸惑った。
21時に夕日を見ながら、まだ何かできる気がして焦った。
明るいのに何もしていない自分が、サボっているように感じた。
日本の「暗くなったら終わり」という体内時計が、ここでは完全に狂っていた。
スペイン人は涼しくなった夜の9時、10時から夕食を始める。
子ども連れで22時にレストランにいる。
最初はそれが理解できなかった。
なんでこんな時間に。
早く寝かせなくていいのか。
でも、何年か経って気づいたことがある。
彼らは太陽に1日を決めてもらっていない。
自分で決めている。
暗くなったから帰るんじゃない。
腹が減ったから食べる。
眠くなったから寝る。
誰かといたいから、明るかろうが暗かろうが、広場に出て喋っている。
空の色は、彼らの1日の主導権を握っていない。
僕はずっと、外側の何かに1日を区切ってもらってきたんだと思う。
空の暗さ。
終業のチャイム。
終電の時刻。
「もうこんな時間だから」という言い訳。
それらが全部、僕の代わりに「終わり」を決めてくれていた。
便利だった。
自分で決めなくて済むから。
夜が来ない国で、その装置が全部外れた。
最初はそれが不安だった。
輪郭のない1日は、だらしなく伸びていくように感じた。
今は、少しだけ違う。
明るいうちに仕事を切り上げて、まだ陽のあるバルコニーでコーヒーを飲む日もある。
逆に、暗くなってからもう一仕事する夜もある。
空の色ではなく、自分の体と気分で1日を区切るようになってきた。
まだ下手くそだけど。
終わりを自分で決めるというのは、たぶん、生き方を自分で決めるということに似ている。
もうすぐ夏至だ。
1年でいちばん夜が短い日。
1年でいちばん夜が短い日。
サン・フアンの夜には、ビーチに焚き火が並んで人々が夜通し海辺にいる。
彼らはきっと、夜が来ないことを嘆いたりしない。
来ないなら来ないで、その長い明るさを使い切るだけだ。
僕も、今日はいつ1日を終わらせようか。
空はまだ、何も教えてくれない。