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写真待ち(候補なし)

子どもの話をちゃんと聞ける時間は、あと十年しかない

「ねえ、見て」

と言われたのに、画面から目を離さなかったことがある。

そのとき何を見せようとしていたのか、僕は覚えていない。

覚えていないという事実が、あとから効いてくる。

彼のほうは、たぶん覚えている。

この夏、日本にいる。

息子を市民プールに連れて行った。

近所の、なんでもないプールだ。

塩素の匂いがして、時間になると笛が鳴って全員上がる、あのプールだ。

それが、ものすごく喜んだ。

スペインには地中海がある。

夏は毎週のように行っている。

水はきれいで、広さは比べようがない。

なのに、市民プールのほうがよかったらしい。

日本の友達と一緒に入って、笛のたびに一緒に上がって、休憩が終わるのを二人で待って、また飛び込んで。

僕は日陰から見ていた。

何がそんなにいいのかは、正直よく分からない。

分からないけど、あの顔は本物だった。

それで十分だった。

日本にいるあいだ、自由研究をやっている。

庭でアリの巣を掘っていた。

砂を少しずつ移して、どこに通路が通っているかを調べていた。

土を握って、崩して、また掘って、手を真っ黒にして戻ってくる。

「ここが入口で、こっちに続いてる」と報告してくる。

合っているかどうかは知らない。

こういうことを、僕も子どものころにやっていた。

何の役にも立たないことに、あんなに時間を使えた。

それを同じ形でやっている人間が、目の前にいる。

かわいい、という言葉しか出てこない。

もっと立派な表現があるといいのだけど、見つからない。

彼の一日は、発見でできている。

水の中で目を開けると景色がゆがむこと。

日本のセミの声がこっちと違うこと。

土を濡らすと固まって形になること。

日本語で言えない言葉があること。

虫は足が六本で、クモは八本だということ。

どれも僕は知っている。

知っているから、こちらには何も起きない。

でも彼にとっては全部が一回目だ。

一回目の顔をしている人間を、毎日見られる。

これがどれだけ得なことか、最近やっと分かってきた。

ただ、僕はそれを毎回ちゃんと受け取れていない。

ここが今日書きたいことだ。

仕事が詰まっている日、頭の中で別のことを考えている日、うまくいっていないことがある日。

そういう日に話しかけられると、返事が浅くなる。

「へえ」「すごいね」

「うん、あとでね」

言葉は出ている。

でも聞いていない。

目が合っていない。

そのとき彼は、いつもと同じ熱量で話している。

こちらの都合は知らない。

話の価値は変わっていない。

変わったのは、受け取る側の状態だけだ。

夜になって、それを思い出す。

とても、なぜか辛くなる。

昼間、何かを見せに来た。

僕は画面を見たままだった。

あれは何だったのか、思い出そうとしても出てこない。

そのくらいのことで、と言われるかもしれない。

実際そのくらいのことだ。

誰も傷ついていないかもしれない。

でも、こういう「そのくらいのこと」が、たぶん一番積み上がる。

怒ったことは、あとで謝れる。

謝るきっかけがある。

聞き流したことは、謝るきっかけすらない。

向こうも文句を言わない。

だから、なかったことになる。

なかったことになったぶんだけ、こちらの記憶からも消える。

消えていくものの総量が、ときどき怖くなる。

逆に、余裕があるときは全然違う。

同じ話を聞いても、ちゃんと入ってくる。

「じゃあこっちも掘ってみたら」と言える。

話が続く。

彼はもっと話す。

話しているうちに自分で新しいことに気づいて、「あ、わかった」と言い出す。

その瞬間が本当に好きだ。

教えたわけではない。

余裕があるときの僕は、彼を邪険にしない。

当たり前のことを書いているようだけど、逆から見ると重い意味になる。

僕が優しいかどうかは、僕の性格ではなく、僕のコンディションで決まっている。

つまり、彼にちゃんと向き合える父親でいるためには、自分の予定と気持ちを整えておく必要がある。

愛情の量ではなくて、余白の量の問題だ。

それが分かってから、少し変えたことがある。

うまく言えるようになったわけではない。

ただ、聞けない状態のときに、聞けるふりをするのをやめた。

「いまこれを終わらせたいから、十分待ってほしい」と言う。

それから、ちゃんと十分で戻る。

彼は待てる。

待てないと思っていたのはこちらの思い込みだった。

「あとでね」が本当に来ると分かっていれば、待つ。

来ない「あとでね」を繰り返していると、待たなくなる。

話しかけてこなくなる。

そうなってからでは遅い。

この時期は、そんなに長くない。

あと十年くらいだと思っている。

一緒に遊べて、聞いてほしいことがあって、こちらが横にいることを喜んでくれる期間。

それが終わったら、彼にはちゃんと別の世界ができる。

そうなってほしい。ずっとこちらを向いていたら、そのほうが心配だ。

だから、いま欲しいものはとても具体的だ。

彼が何かに夢中になっている横に座っている時間。

話を最後まで聞ける状態でいること。

それだけだ。

将来どうなるかは分からない。

何になるのか、どこに住むのか、日本を選ぶのかスペインを選ぶのか、僕には決められないし決めるべきでもない。

うまくいくかどうかも分からない。

ただ、この時間そのものが、もう十分に幸せだ。

将来の見返りとして幸せになるのではなくて、今日の時点でとっくに足りている。

土だらけの手で「見て」と言ってくるのを見ているだけで、足りている。

来年もあのプールに行きたいと言っていた。

海ではなくて、あの市民プールがいいらしい。

いいよ、と言った。

来年もきっと、僕は何度か聞き流すと思う。

忙しい日は来るし、頭が別の場所にある日も来る。

それでも、聞けなかった日のことを覚えていられる自分でいたい。

忘れてしまうのが、いちばん惜しいから。

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